さて、市川崑監督を観てみようと思います。
昨日みた『ビルマの竪琴』でも、市川作品は奇妙な印象があります。
1949年
ここ1ヶ月弱、リアリズム的で自然なカメラのカットの作品をみていたので、画面の切り替も音楽もビックリするほど唐突で、アート的。
フランス映画のようだと思ったら、市川監督はジャン・コクトーを敬愛していたらしい。
芸術家はインスピレーションの悪魔に魅了された、エゴイスト。
情のない自己中心さで周りや自分を不幸にする。
典型的な芸術家のゴッホのようなイメージだ。
この映画はそんな芸術家のシリアスを、大袈裟な演出とコミカル要素をピリッと効かせたニヒリズムを感じる。
大阪弁で気取らない歌姫役、笠置シズ子さんは金勘定できる現実の人。
コミカルな表情が、悲劇ドラマを喜劇の演劇舞台をみる観客として現実世界に戻す。
ワーっと大声をだして、芸術家きどりを夢から醒ます目覚まし時計のよう。
パリの屋根裏のような新婚の部屋。
芸術家を愛するしんは、大きな目で違う夢をみている。
夢みる同士の夢は交わらない。
メトロノームは違うリズムを刻む
孤独な魂、夜のプラットホームは芸術家のアイデンティティ
酔潰れて作る曲は、酔っ払いの駄作かホンモノか?
悲劇は喜劇…
目覚まし時計の笠置シズ子は、鳴るのをやめてまた女を眠らせる
子犬の婦人は、芸術家の理想の夢。
夢はやっぱり覚めない夢
夢消える苦しみをも、すべてが作品の糧になる
死にきれない芸術家は、やはりエゴイスト
苦悩の中にインスピレーションの光がさす
そんな印象が次々と駆けめぐる作品。
この作品自体酷評されているが、アートを楽しむ感覚でみると面白かった。